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言葉の力

ブログを開設しました。
何を書こうかと悩みますが、まずは精神分析・精神分析的心理療法について幾つかの側面から書いてみようと思います。最初は「言葉の力」としてみました。

精神分析・精神分析的心理療法では言葉がとても重要です。

情動を伴って、忘れていた(自分から切り離されていた)体験を言葉にして語ることで症状が改善した患者さんの報告が、フロイトが精神分析を生み出すきっかけとなりました。

「我々が発見したのは次のことである。最初はその発見に我々自身が大変驚いたものだった。つまり、誘因となる出来事の想起を完全に明晰な形で呼び覚まし、それに伴う情動をも呼び起こすことに成功するならば、そして、患者がその出来事をできる限り詳細に語りその情動に言葉を与えたならば、個々のヒステリー症状は直ちに消滅し、二度と回帰することはなかったのである。」(ブロイアー&フロイト, 1893/芝訳,2008, p.10)

心を見つめ言葉にしていくこと、情動に言葉を与えること、そのことが心をより自由にする、言葉にはそのような力があることが発見されたのです。以来精神分析は、治療的に言葉を使っていく方法(技法)と心をどう理解していくかというモデル(理論)を育ててきました。

治療的に言葉を使うために重要なことは、それがお仕着せの言葉にならない事です。つまり、患者さん自らが言葉にし洞察していくこと、それに伴って起きる情緒について思い巡らしていくことが大切です。精神分析・精神分析的心理療法では、患者さんは思い浮かぶことをそのまま話すように求められます(自由連想法)。フロイト(1913/藤山監訳, 2014)はこれを「あなたが列車の窓際に座る旅行者だとして、車両の内部の人に窓から見える移り変わる景色を描写して聞かせるように」(p.50)と表現しました。これは自分から切り離された体験や考えに接近していく方法であり、その事にまつわる情緒を大切にしていく方法となります。

なんだそんな単純なこと、と思われるかもしれません。言葉にするだけなら一人でいいのではないか、とも思われるかもしれません。もちろん心に浮かんだことを言葉にすることは誰も代わりにできません。しかし、ホームページの説明でも書きましたが、人間関係の困難や生きづらさをもたらしているのは、見たくないと思っていたり、見てはいけないとしている心の部分であることが多いため、それを見つめていくことは他者の援助なしには困難でしょう。

また当初は、出来事やそこにまつわる情緒を思い出し話せば良いという理解ではありましたが、次第に、治療者と患者さんの間に、患者さんの心の世界が展開していくことが見い出されていきました。

精神分析・精神分析的心理療法では、治療者は時に質問したりすることはありますが、基本は聞いています。そして、いろいろなことを感じ連想し、生じた理解を言葉にして伝えます(解釈)。これは普通の会話や相談とは大分異なる特殊な営みであることはご想像いただけるかと思います。患者さんは様々な気持ちになるでしょう。そのような気持ちも言葉にし、治療者と患者さんの間で起きていることはどのようなことなのかを共に考えていきます。このような心と言葉を使った営みを繰り返していくなかで、次第に患者さんは自分の知らなかった自分の部分に出会っていくこととなります。それはより自分らしく生きる事につながります。

このような営みをおこなっていくには、枠組み(治療設定)が重要となります。また治療者側の訓練も必要となります。

それについてはまたの機会に書いてみようと思います。

 

参考文献
ブロイアー&フロイト(1893)「ヒステリー諸現象の心的規制についてー暫定報告」(フロイト全集2,2008) 芝伸太郎 訳,岩波書店
フロイト(1913)「治療の開始について(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)」(フロイト技法論集,2014) 藤山直樹 編・監訳, 坂井俊之 鈴木奈実子 編・訳,岩崎学術出版社

2022年10月08日

治療設定について

このオフィス2021年9月に開業いたしました。それまで私はクリニックで精神分析的心理療法(精神療法)の時間を設けさせてもらい、実践を行っていました。オフィスに移行したことで治療設定(構造)は変わったことと変わらないことがあります。そのことも含めて精神分析的心理療法の治療設定について少し書いてみたいと思います。

精神分析・精神分析的心理療法における外的な設定上の共通点は、毎週同じ時間に45-50分を繰り返して年単位で治療することです。精神分析は週4日以上(フロイトは週6行っていました)、精神分析的心理療法では週1~3回と頻度が落ちますが、毎週同じ時間に繰り返しあることは変わりません。

これは、現実的な外的な条件(場所、時間、頻度)を一定にすることで、より無意識的な心の状態を見やすくするためです。一定にすることで、そこでの揺らぎもわかります。また毎週の繰り返しが生活の一部としてなじんでいくことで徐々に立ち現れてくるものがあります。繰り返しによって生活の一部になることはこのようなセラピーの要素のひとつであるため、最低週1回は必要となります。

頻度に関しては多い方がより進展しやすいと言えます。また会わない時間が多いほどひとりで作業する時間は多くなります。セラピー外の出来事に紛れて取り組みたいことになかなか向き合えないことも起きるかもしれません。セラピー自体が生活の中のひとつの刺激のようなものなので、週2回あるとセラピーの場で起きたことについてセラピー内で考えやすくなり、より安定するように思います。

精神分析ではカウチを使った治療となりますが、精神分析的心理療法では椅子による対面(90度)の場合と、カウチを使う場合があります。頻度や病態、希望などから個々に判断をしていくことが多いように思います。当オフィスでは、基本週1回であれば椅子を使っています。週2回以上では、椅子を使う場合とカウチを使う場合があります。

週複数回の治療が可能となったこととカウチでの治療が可能となったことは、クリニックの診察室から個人のオフィスに移ったことでの変化のひとつです。しかし何より大きいのは面接室の空間でしょう。そもそもフロイトの時代から、このような個人開業の場で精神分析は営まれてきた経緯があります。もちろんここでも、精神分析と精神分析的心理療法の違いを考える必要はあるように思います。現代の日本で精神分析的心理療法は、様々な実践の場があります。クリニックや病院で行うこともあれば、このような個人開業の形もあるでしょう。どのような形で行うとしても、その場がどのように治療に影響するかを考えていくことは大切です。現実的な要請とタイミングもありましたが、私が個人開業を選択したことに関しては、この開業という形が私自身の分析的な体験の一つの要素になったことも大きいように思います。

次は訓練について書いてみたいと思います。

2022年10月27日

内的設定と訓練

更新が遅くなりました。前回は外的設定について書きましたが、今回は内的設定について書こうと思います。

起きていることを無意識も含めて扱い、転移としてみていくあり方は精神分析・精神分析的心理療法に特徴的で、そのようなものにならしめているといえます。内的設定とは治療者が内に持っている設定のことです。このような設定を保持するに至るには、治療者側の訓練が欠かせません。

コロナ禍などで会うことがなかなかかなわなくなったときなど、外的設定が何らかのかたちで破損した時、内的設定が分析的過程を維持したり、修復しようとします。それには、治療者が破損していない設定を内に持っていないと不可能です。1)

災害のような大きな外的要因による破損でなくとも、日々の臨床で転移逆転移の中で設定の逸脱は起こりえます。それにどれだけ自覚的になれるか、心的なこととして考え、言葉でやりとりしていけるかが、分析的臨床では大切でしょう。個人的には初心であるほど外的設定に助けられることが大きいように思います。設定は現実的な限界でもあり治療者と患者双方を守るものです。ただし、外的設定を守ること、外的設定の意味を実感を持って体得するにも訓練が必要に思います。どれだけ分析的なあり方が内的に体得されているのかが、よく議論されている精神分析的とはどういうことかについて、いろいろな見解があったり、個々人で幅があるところにもつながるのかもしれません。

話がそれましたが内的設定を保持するため、分析的な治療者となるための訓練として言われていきたことは、セミナーを受講する、個人スーパービジョンを受ける、個人セラピー(分析)を受ける、でしょうか。最近はインスティチュートに所属することも言われてきているように思います。

個人的にはこの中で、一番大きな体験はセラピーを受けることであるように思います。もちろんスーパービジョンも欠かせません。どれか一つとは選べないものですが、セミナーなどの座学よりは治療者やスーパーバイザーとの関係の中で学ぶことのほうが大きな体験となっています。セミナー受講は入り口としての役割と、その後実践を重ねていく中で様々な形や意味を持ちながら継続していくもののように思います。もちろん書籍を読んだりも必要でしょう。訓練や学びは生涯続いていくもののように思います。

現在私はインスティチュートには所属しておりませんが、セミナーのほか、グループでのケース検討会に参加し、個人スーパービジョンをうけ、個人セラピーを受けています。スーパーバイザーとしてお願いした方は複数おりますが、物理的な事情で短い期間で終わらざるをえなかった方もおります。医師で精神分析家の方には5年以上、また、分析的な実践をしている臨床心理士の方に受けています。

当初思いついたことについて、書いてしまいました。この後はどのようにブログを使うか考えつつ、少しずつ更新していきたいと思います。

参考文献
1) 萩本快 北山修編著(2021)コロナと精神分析的臨床「会うこと」の喪失と回復,木立の文庫

2022年12月11日